脳腫瘍に対するメチル化プロファイリング
カテゴリー:がん

「脳腫瘍をより正確に診断できるとしたら、患者の人生はどう変わるのか?」 Dr. Melissa Kelly(メリッサ・ケリー)とJAXのAdvanced Precision Medicine Laboratory(APML:高度精密医療研究所)は、最先端の検査技術を活用することで、患者の人生を変えようとしている。
医師が脳腫瘍を診断する際、多くの場合、次のような重大な問いに直面する。「この腫瘍増殖が遅く、治療が可能なのか? それとも悪性度が高く、命に関わるものなのか?」
2024年末、MaineHealth(メインヘルス:メイン州医療機関グループ)の医師たちは、まさにこの難しい判断に直面しました。新たに診察を受けた患者、ロクサンヌ・リートさんは、当初の画像検査では「髄膜腫」と呼ばれる良性で増殖の遅い脳腫瘍と考えられていました。しかし、彼女の腫瘍組織をゲノム解析した結果、異なるタイプのがんである可能性が示されたのです。この予想外の結果を受けて、腫瘍はMaineHealthとJAXの共同研究の一環として、JAXの Advanced Precision Medicine Laboratory (APML:高度精密医療研究所)に送られました。そこで科学者たちは、腫瘍のDNA、RNA、そしてメチル化パターン(遺伝子の働きを調整するDNA鎖上のメチル化学基の独特なパターン)を調べました。
JAXは、腫瘍の次世代シークエンシングとメチル化検査の両方を提供できる、米国でも数少ない研究機関のひとつです。そこで得られたデータによって患者の診断は大きく変わりました。ロクサンヌさんの腫瘍は髄膜腫ではなく、肉腫でした。肉腫は、脳にはめったに見られない悪性度の高いがんです。手術をして脳の画像検査で経過を観察する代わりに、放射線療法が必要となり、将来的には化学療法を行う可能性も出てきました。さらに、肉腫が他の部位に転移していないことを確認するため、全身の検査を受ける必要がありました。
「シークエンスデータとメチル化情報を組み合わせて見ることで、腫瘍がどこから発生したのかをより正確に理解でき、診断の精度が高まります。この情報は、患者に対してより正確な予後を伝えるだけでなく、治療方針を決定するうえでも非常に重要です」と、MaineHealthの神経腫瘍専門医であるDr. Christine Lu-Emerson(クリスティーン・ルー=エマーソン)は語っています。
細胞の指紋
私たちの体のすべての細胞は、同じDNAを持っています。しかし、すべての細胞が同じようにDNAを読み取っているわけではありません。メチル化は、まるで蛍光ペンのような働きをし、どの遺伝子が「オン(働いている)」なのか、「オフ(働いていない)」なのかを細胞ごとに示します。
例えば、脳を保護する髄膜に存在する細胞は、脳の結合組織や血管の細胞とは、使っている遺伝子が異なります。そのため、これらの細胞はDNAの配列は同じですが、DNAにメチル基が結合している箇所は異なります。
2018年、ドイツの研究者たちは、分類が難しいことで知られる脳腫瘍のゲノム配列とメチル化プロファイルの両方を調べることで、従来の方法よりもはるかに高い精度で腫瘍を分類できることを明らかにしました。
つまり、髄膜から発生する髄膜腫と結合組織から発生する肉腫では、メチル化パターンが全く異なるのです。
JAXのAPMLは2022年に外部機関へのメチル化プロファイリング提供を開始し、以来毎年約200件の腫瘍検体を処理しています。脳腫瘍の患者が生検や腫瘍摘出手術を受けると、採取されたがん細胞塊が分離され、診断のためAPMLに送られるのです。
「JAXは、このような取り組みに非常に適した機関です。国内でも数少ない、必要な設備と専門知識をすでに備えています」と、Dr.ケリーは語っています。
UConn Health(コネチカット大学保健学部)の神経病理学者、Dr. Qian Wu(チアン・ウー)は、JAXと協力してメチル化プロファイリングの導入を進めた先駆者の一人です。彼女は現在、新たに得られる脳腫瘍検体の約4分の1をAPMLに送りメチル化検査を行っています。
「脳腫瘍の場合、生検そのものが非常に難しく、検査を行うのが困難なほどわずかしか組織が採取できないこともあります。以前は、その限られた細胞を顕微鏡で観察し、その外観に基づいて診断を行っていました。しかし、メチル化プロファイリングによって、わずかな検体からでも多くの情報を得ることができるようになりました。この技術は、脳腫瘍を診断するための独立した手法として機能しています」と、Dr.ウーは説明しています。
DNAメチル化分析は、脳腫瘍の重症度を診断する最良の方法と考えられている、とDr.ウーは説明しています。顕微鏡では、腫瘍の種類を特定することはできても、その悪性度(1〜4段階)を評価するのははるかに難しいのです。メチル化分析は、この評価プロセスを改良するのに役立っています。
メイン州全体でのメチル化プロファイリング
2024年9月、JAXはDr.ルー=エマーソンとMaineHealthの研究者たちとの共同研究を開始しました。この研究は、Maine Cancer Genomics Initiative(MCGI)を通じて、メチル化プロファイリングがメイン州の脳腫瘍患者の予後をどのように改善できるかを検証する臨床試験です。この試験の一環として、APMLは、MaineHealthで診断された一部の脳腫瘍について、塩基配列とメチル化プロファイリングのデータを提供しています。各腫瘍検体の解析が完了すると、Dr.ケリーは腫瘍委員会の会議に出席し、臨床医たちとその患者の症例について議論します。
「私たちは皆、このプロジェクトを通じて一緒に学んでいます。とてもエキサイティングな取り組みです。ある腫瘍が当初考えられていたものとは全く異なるタイプだったというケースも、これまでに何件もありました」と、Dr.ケリーは語ります。
この共同研究を通じて、JAXのDr.ケリーのチームは、臨床現場でより役立つようにメチル化プロファイルの解析手法を微調整する方法を学び、一方でMaineHealthの研究チームたちは、新しいタイプのデータをどのように解釈し、診療に活かすかを学んでいます。
Dr.ルー=エマーソンは、他の多くのがんでは、臨床医が腫瘍を細かく分類することに非常に長けていると指摘しています。たとえば乳がんの場合、患者は「ホルモン陽性腫瘍」なのか「トリプルネガティブ腫瘍」なのかを知らされます。こうした分類は、治療法の選択や患者の生存期間の予測に直接関わる重要な情報です。
「脳腫瘍の場合、これまでは腫瘍の種類を正確に見分ける手段が限られていました。もし患者が最初の段階で、自分のがんのタイプから予測される経過を知ることができれば、それは本当に素晴らしいことです。メチル化プロファイリングは、その可能性を切り開く技術です」と、Dr.ルー=エマーソンは語ります。
現在進められている研究
脳腫瘍に対するメチル化プロファイリング(メチローム解析)は、すでに一部の患者の治療方針を変える成果を上げています。しかし、この取り組みはまだ始まったばかりです。研究者たちは今後も、さまざまな脳腫瘍のメチロームデータを継続的に収集し、よりまれながんのタイプや、新たな治療法に結びつくパターンを見つけ出す必要があります。
MaineHealthとの共同研究が始まって数か月が経ち、JAXではこれまでに11例の脳腫瘍を分析しました。Dr.ケリーは、この数が今後さらに増えていくことを期待しています。
最終的には、この技術によって臨床医が患者の状態をより正確に把握し、診断が迅速になり、より適切な治療を提供できるようになることを望んでいます。そして、JAXの科学者たちはまさにその実現に向けて日々取り組んでいるのです。